世界会議の後に開かれた懇親会は明け方近くになってやっとお開きとなった。
ものすごいアルコールの臭いと死屍累々に店の中で横たわる各国を放ってこっそり帰ろうとしていたアメリカの肩をたたいたのはフランスだった。
その笑みは満面で、お前一人だけ帰さねえぞ・と目が言っていた。
思い切り捕まれた肩を振り払うのもなんとなく卑怯な気がしてアメリカは息をついてから身を翻した。
その力をいつも出していれば、イギリスからイタリア2号と揶揄られることもないだろうに。とこっそりと思ったことは懸命にも言わないでおいた。


頼んだと渡されたのは思い切り泥酔したイギリスだった。
着ていたはずのスーツの上着はどこかへ行ってしまっていたし、ネクタイも首元から消えていた。
にもかかわらず、両腕にはまだ中身の入っているバーボンのビンがしっかりと抱えられている。
その姿に思いきり顔を顰めるアメリカに、フランスはにこやかに他の横たわる国々を指差して「別に誰でもいいけど?」と言った。
フランスの笑みが怖いと思ったのは初めてかもしれない。
まともに意識が残っている人の方が少ないという状況の中、その”まとも”側になってしまったアメリカは深々と息をついた。
あたりを見渡すと、兄に絡まれながらもイタリア兄弟を背負っているドイツが見えた。
その向こうには、日本が管を巻きまくっている中国と韓国に思い切り青筋を立てながらも、腕をまくっていた。
そんな様子を見てしまうと、酔っ払うと世界一手に負えないイギリスを自分が引き取るのは当然の義務のような気さえしてくる。
イギリスはアメリカが参加した飲み会で酔うと、必ずアメリカの愚痴をこぼす。
幼い頃の美しかった思い出から、独立されたことに対する泣き言までのフルコースが今夜も始まっていた。
別にアメリカが悪いわけではないのに、なんとなくみんなに迷惑かけたような気になってしまうから不思議だ。


うんざりとした気分でアメリカはイギリスを肩に背負い、懇親会場を後にした。




        ねえ、すぐそこから出て早く顔を見せてよ




イギリスを肩に担ぎながらだったため鍵を取り出すのに多少手間取りつつも、やっと家に着いたとほっとしながら玄関の電気を付ける。
アメリカはとにかく暴れるイギリスに手を焼いた。
途中のタクシーの中でも大騒ぎし、残っていたバーボンのビンに直接口につけて酒を喰らうイギリスの世話と、タクシーの運転手の、車内を汚したら許さないと告げる鋭い目線に晒されたことで、アメリカは精神がすっかり疲弊していた。


「もっと酒持って来ーい!」
やっとイギリスをリビングへと引きずり込むことができたが、絶好調に叫んだ彼が振り上げた腕が思いっきりアメリカのみぞおちに入る。
しかもその腕にはバーボンのビンが握られていたのだから堪らない。
衝撃に崩れたバランスは、さらに暴れる荷物によって完全に失われた。

傾ぐ身体は、とっさに伸ばした腕が触れたソファの背を掴むことで、倒れこむことはなんとか回避できた。
冷汗をかいたアメリカは自らの運動神経の良さを神に感謝した。


みぞおちを殴られた恨みも込めて、アメリカはイギリスをやや乱暴にソファへと放り投げた。
酔っ払ったイギリス様はその乱暴な振る舞いに腹を立てたのだろう、一仕事を終え息つくアメリカの無防備な足を思いっきり蹴り払った。
突然の攻撃に、またもバランスを失ったアメリカは、今度は何かに掴むこともできずに、ソファへと倒れこんだ。
倒れたアメリカにソファの上でつぶされたというのに、ざまーみろと非常に上機嫌に笑い転げる酔っ払いは、ひとしきり笑った後、突如として眠りに落ちた。
その電池が切れたおもちゃの様な唐突さにアメリカはもう深々とため息をつくしかなかった。
身を起こすべくソファの背もたれに手をかけたアメリカは、そういえばイギリスとの距離が近いということに気が付いてしまった。

一度自覚してしまうと、アメリカは自分の心臓がドクンと高鳴るのを止められなかった。
自分のすぐ下、まるで組み敷いているかのような状況に、心がざわめく。
口の中が乾いていることを自覚し、ごくりと唾を飲むこむ音がやけに大きく自分の中に響いた。
アメリカの視線は眠るといつも以上に幼くみえるイギリスに顔から目が離せないでいた。
いますぐにソファから身を起こすべきだと頭では分かっているのに、なぜか身体はどんどんと顔をイギリスへと近づけていた。
アメリカ自身も酔っているのだということをぼんやりと思い出しながら、それで視界にはイギリスの唇しか映ってはいなかった。
唇が触れるか触れないかのところで一度動きを止めることができたが、緩く開かれたイギリスの唇からこぼれる吐息がかかったアメリカは、自制しきることに失敗した。

隠してきた気持ちを優しく囁くように、アメリカはそっと唇を落とす。
触れ合っていた時間はごくわずかだったが、それでもアメリカにはとても長い時間のように感じられた。
唇を離すと、イギリスのやや見開かれた目とぶつかった。
眠っていたと思っていたが、どうやら完全に眠りには落ちていなかったようだ。
そしてイギリスはきっと驚きで酔いが少しはさめたはず。

後悔と自己嫌悪で今すぐ回れ右してここから立ち去りたい気分に陥ったアメリカは、だが考えてみればここは自分の家だ。
逃げ帰る場所もない自分の身の不幸を嘆きたくなった。
どうか寝ぼけていてくれとかすかな希望を持って組み敷いてしまっている相手へ視線を動かすと、イギリスは訝しげにアメリカを見つめていた。
もうダメだ、ごまかせない。
絶望的に思っているアメリカに向かってイギリスは口を開いた。
「何だよ、今の」
「・・・・何って、キス・・・かな?」
アメリカの答えに眉間に皺が寄っていたイギリスがきょとんと目を丸くする。
イギリスを見下ろすのがいたたまれなくなったアメリカは体を起こそうと腕に力をこめた。
だが、イギリスの手がするりとアメリカの腕を抱え込み、アメリカの動きを止める。
驚いたアメリカが反射的に腕の力を抜くと、イギリスの手が簡単にはずれる。
まるで縋り付かれたようなイギリスの様子に、アメリカは自身の心は仄かに歓喜する。
そして同時に、無意識にそんな行動が取れるイギリスの性質の悪いに思わず悪態をつきたくなった。
そんなアメリカに対し、イギリスはアメリカの腕からはずした手で、今度は一瞬近くなった隙にぶら下がってたドッグタグの鎖を弄ぶことにしたらしい。
普段はシャツの下に隠れているドッグタグだが、どうも先ほどの倒れこんだ拍子に表へ出てきてしまっていたらしい。
イギリスの唇ばかりを眺めてしまう視線を無理やりはずしたアメリカに体の下から声があがった。
「今のがキス?」 少し小ばかにしたような声にアメリカがムッとするよりも先に、首にかかっているドッグタグを思いっきりひっぱられ、イギリスへと引き倒された。
「バカ言ってんなよ。キスってのは・・・」
こういうのを言うんだよ。
後半の言葉はイギリスの吐息とともにアメリカの口内へと消えていった。


それはひどく情熱的なイギリスからのキスだった。
舌をねじ込まれ、歯茎の裏を嘗め回され、舌同士を強く絡まされた。
完全に主導権をイギリスに握られたアメリカはその愛撫にすっかり息が上がってしまっていた。

ちくしょう、エロ大使め。
上がってしまった息を落ち着けるために息を整えようと距離をとると、その距離をイギリスは簡単においかけてくる。
そして再び体をイギリスへと引き寄せられる。
長く続くキスと共に熱くなっていく身体に気づき、アメリカはヤバイと思った。
触ってもいないのに、キスだけで勃ってしまいそうだ。
童貞でもあるまいし。そうは思っていても逸る気持ちが抑えきれない。

ずっと禁忌として隠していくつもりだった恋心が表へ出ようと暴れまわっている。
イギリスを組み敷いて、愛を囁いて、めちゃくちゃにしてやりたい。
キスがしたい。身体に触れたい。気持ちよくなりたい。どろどろにしてやりたい。
ずっとずっと、イギリスが好きだった。
その気持ちを存分に思い知らせてやりたい。
――嗚呼、爆発してしまいそうだ。
暴れまわるこの感情を、そのままイギリスに叩きつけたくて堪らない。


一体全体なんなんだ、この展開は。
今すぐイギリスを引っぺがしてこの部屋から出て行くべきだと頭の中で警鐘が鳴り響く一方で、もういいじゃないか流されてしまえと囁くもう一人の自分もいる。
そもそも彼とはこんなことをしていい関係ではなく、だからこそ、醜い恋情をずっとひた隠しにしてきたというのに。
嗚呼、なんということだろう。
もう頭が混乱してわけが分からない。


チュ・・・
アメリカの口内で傍若無人に振舞っていたイギリスは、最後にアメリカの口の端に音を立ててキスをしてから唇を離した。
お互いにすっかり息があがっていて、アメリカはさっきまで合わさっていたイギリスの唇とその奥にチロチロと見え隠れする赤い舌から目が離せずにいた。
キスに満足したのか、楽しそうに目を細めるイギリスの頬は酒のせいなのか赤く染まり、目が潤んでいる。
欲望が刺激されたことを自覚したアメリカが導かれるようにそっと頬を指で触れると、イギリスの口から小さく息がこぼれた。
その息の甘さに、アメリカは弾かれたように手を引く。
どこを見ればいいのか分からなくなったアメリカの目はせわしなく部屋の中を行き来した。
それが気に食わなかったのか、イギリスはアメリカの腕にそっと手を這わせシャツを握った。
「・・・アメリカ」
求められるように切迫したような声で名前を呼ばれたことで、アメリカの中で何かが決壊した。
荒々しくイギリスの肩をソファに押し付け、噛み付くようにキスをした―――





* * * * *




頭からやや熱めのシャワーをガンガンに浴びせながら、アメリカは風呂場のタイルに頭を押しあてた。
勢いが良すぎたせいでゴンと鈍い音がして、ちょっと額がヒリヒリするけれど、今アメリカが置かれてしまっている状態からすれば瑣末なことだ。

なんてことだ。
ずっとずっと幼いことから淡い恋情を持ち続けてきた相手と寝てしまった。
愛され、庇護されていたのに、独立という形で手酷く裏切った自分には気持ちを伝えることはできないと、自分の中でけじめをつけ、ずっとずっと隠してゆくつもりだったというのに。

自分の意思の弱さに辟易してしまう。
どちらが誘ったかなんて明白で、オレはなんてバカなんだ、と口の中で毒づいた。
まるで組み敷いたかのような体勢になってしまったことも、そこがちょうどソファの上だったことも、偶然が重なって起こってしまった悪い事故だったのだと思いたい。
いつもいつも悲劇とは、絶対にかち合わないはずの歯車がピタリと嵌ってしまったように、すべてが悪いように重なったときにこそ起こるものなのだから。

はぁ・・・・。
シャワーをたっぷり浴びながら、アメリカは大きくため息をついた。
イギリスと顔が合わせられない。

まるでハイスクールの学生のようだったと昨夜の自分を振り返る。
すっかりと国として大きくなり、今では世界の中心、超大国として君臨しているというのに、なんたる様だ。
まったく余裕がなく、相手を労われず、自分勝手で。そして夢中になっていた。
相手の名前をたくさん呼び、イギリスの上げた甘い声に調子に乗ってたくさんキスを降らせたのをよく覚えている。
額に頬に唇に。
これではもうごまかせない。
間違いなくイギリスにこの気持ちを気づかれた。
ずっと我慢してきて、いつかゆるやかに風化させていこうとしっかりと心の奥底にしまいこんでいたというのに、すべてが水の泡だ。
アルコールの恐ろしさが身にしみてよくわかった。
まったく、先人の言葉をちゃんと聞いておくべきだったと後悔してももう後の祭り。
もうアルコールなんて見たくもない。
これから先、一滴だって飲むものか!

どれだけ後悔してもし足りない。
でも、このままシャワー室で暮らすわけにもいかないし、そもそも敵前逃亡などまっぴらだ。
こうなったからには、イギリスに真摯に向かい合うしかない。
昨夜のことを謝って、ちゃんと好きだと伝えて、そうして許されるのならキスをしたい。



そう覚悟を決めたはずなのに、その後なぜか10分はシャワー室から出て来れなかったアメリカは、それでも自室のドアの前へと戻ってきた。
高鳴る心臓のうるささに、ごくんと唾を飲み込んでからアメリカはドアのノブに手をかけた。
自分の寝室のドアを開けるのにこんなにも勇気を必要としたのは初めてのことだった。


そっとドアを開くと、遮光カーテンの端からもれた朝日が部屋の中を明るく照らしていた。
部屋を見渡さずとも目当てのものはすぐに見つかった。
アメリカのベッドの上に大きなシーツの山ができていた。
そっと音を立てないように部屋へ入ったアメリカは、だが後ろ手に閉めたドアを閉めるのときはやや大きく音を立ててしまった。
シーツの山はその音にビクリと大きく揺れてから、おそるおそるシーツの端っこが少しずつ開き始めた。
その奥からこちらを伺うイギリスと目が一瞬合ったかと思うと、勢いよくシーツが被り直された。
ガタガタと震え始めたシーツの山は「死にたい死にたい死にたい死にたい」とくぐもった声を上げている。

アメリカは小さく深呼吸をしたから、自分のベッドへ腰掛けた。
シーツの山と化したイギリスのすぐ隣へと。
アメリカが近づくと小刻みに震えていたイギリスはピタリを固まる。
そっと触れると思い切りビクリと震えるその塊を前にアメリカはもう一度息を吸った。



何から伝えればいいのか分からなかった。
でも一瞬合ったイギリスの瞳の、その深いペリドットの緑を心から愛していると思った。
だからアメリカはずっとずっと言いたかった言葉を口にすることにした。



「君が好きだよ、イギリス」



 END






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酔っ払ってうっかり一夜を共にするという、
米英ではものすごく王道なものに挑戦してみました。
メインはシャワールームで一人反省なアメリカ。
書いててものすごく楽しかったです。

2009.9.7初稿
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