早く早く早く。
1週間が過ぎることだけをただただ祈る。
何も考えないように。何も思い出さないように。
気持ちを凍らせて。心をからっぽにして。
できるのならば、この1週間が通り過ぎるのをベットの中で震えながらただただ祈ってすごしてたいのに。
Good-bye My Dear
イギリスはソファの上で眠るアメリカの姿を見た途端に、大きなため息をついた。
コイツは全く・・・と小さく口の端で文句を言うと腰に手をあててもう一度ため息をついた。
ふと、目をやった窓の外は雨がしとしとと降り注いでいる。
雨の日はなんだか眠くなりますねと、にこりと笑った極東の島国の言葉が脳裏をよぎったが、コイツはそんな情緒的な思考回路など持っていなかったと思い直す。
会議の休憩が終わったというのに会議室へと戻ってこないアメリカとイタリアの2人を呼び戻すために、ドイツとイギリスが探しに出ることとなった。
中庭や売店などアメリカが行きそうな場所を一通り探したがどこにもおらず、ひとまず原点に戻ろうと、アメリカに宛がわれた控え室へ行ってみるとそこに本人がふかふかのソファをベットに寝こけていた。
無駄に遠回りして見つけた探し人の姿にイギリスはもう文句もひっこんで呆れてため息しか出なかった。
ひとまずは会議を再開させるべくアメリカへと手を伸ばした。
何しろアメリカは世界の超大国。
たとえまともな発言をしないとしても、彼がいなくては世界会議の意味をなさない。
「起きろよ、アメリカ」
肩を大きく揺するが、アメリカは寝返りを打つことでイギリスの手を払った。
払われたことで引いた手をイギリスは再びアメリカへとのばす。
肩ではなく、今度は寝返りを打つことでこちらへ露になったアメリカの顔へと。
あどけなく眠るアメリカの、そのブロンドの髪へと。
するりと指をすべる髪質は昔と変わらず。
無防備に眠るそのあどけなさは同じだというのに。
時として、まるでイギリスから注がれた愛情など欠片もなかったかのように振舞うアメリカに、その傲慢さに腹が立つばかりだが、それでも昔と同じ寝顔で寝ている姿に、思わず口元が綻んでしまう。
すこし硬い髪が指に絡む感触に、なんとなく気分が穏やかになっていたそのとき、背後から誰かに抱きつかれた。
ふわりとイギリスを抱きしめたその体の温かさも、胴体に巻かれている腕が身に着けている青い軍服にも見覚えがあった。
しまったと青くなるよりも先に、肩口に顔を押しつけられ、耳元に口を寄せられたのが分かった。
耳元でささやかれた声は、よく知っている声だった。
――バカだね、イギリス。今のオレに気をとられて”オレ”に捕まるなんて
くすくすと笑う楽しそうな声に、イギリスは指一本すら動かせなくなる。
背中に感じるぬくもりに恐怖しても振り払えない。
声を聞きたくないのに耳をふさげない。
誰かに助けを求めたくとも声が喉元で凍りつく。
ならばせめて目を閉じたいのに、それすら叶わない。
逃げて逃げて逃げて。
見ない振りをして、聞こえない振りをして、なんとか今まで逃げ切れていたというのに。
・・・ああ、悪夢に追いつかれてしまった。
悪夢は1781年当時のアメリカの姿をしていた。
青い軍服はしっとりと濡れていて、まるで雨の中に長時間いたかのように水気を帯びている。
あの嵐のヨークタウンから来たに違いない。
そうして、悪夢はただイギリスに呪いの言葉を吐き続ける。
耳元で、やさしく楽しげにイギリスを嘲り続ける。
(オレを弟だと言って愛したけれど、本当はオレではなく自分を愛していたんだろう?)
(幼いオレに昔の自分を重ねて、オレを愛することで愛されなかった哀れな幼少時代を慰めていたんだろう?)
(君の愛はただの自己満足だよ)
(かわいそうなイギリス。愛し方を知らず、愛し方を間違え、”オレ”に独立されてしまった)
恐ろしい呪いの言葉。
だが、悪夢の言うことは消して間違いではないのだということはイギリス自身がよく分かっていた。
悪夢はイギリスが生み出したもの。
その口からでる罵りの言葉はイギリスが頭の片隅で恐れている事実だ。
―――飲み込まれてしまう、そう思った。
「何、してるんだい?」
ふと下から聞こえた言葉に、体の硬直が解けた。
キンとなっていた耳鳴りも息苦しさも消えていた。
イギリスの体を包み込んでいた、やさしくも恐ろしい体温もまわされていた腕もどこかへ消えてしまっていた。
悪夢はまるで霞のように消え、目の前には見慣れたいつものアメリカがいた。
「な・・・何って・・・」
「ぼんやりしてるみたいだったし」
よっと小さな掛け声と共にソファから身を起こしたアメリカは、姿勢を正しソファへと座り直した。
目で促されるままにイギリスはその隣へと腰掛ける。
「知ってるかい、イギリス。オレ、あさって誕生日なんだよ」
「バカにしてんのか。オレは先週半ばから体調は悪いわ悪夢は見るわで、最悪の気分だよ」
「それはご愁傷様。でも君の場合は自業自得だけどね」
そう言ったアメリカの口調はいつものようにイギリスを小馬鹿にしたような、こちらの神経を触るのが目的としか思えないような言い方ではなかったので、イギリスは言い返そうと反射的に浮かんだ文句を飲み込んだ。
「どうか、したのか」
珍しい様子のアメリカに、イギリスはそう言うことしかできなかった。
一瞬言葉に詰まったアメリカは、それでもイギリスが訝しげな視線をする前に口を開いた。
だが、矜持までは取り戻せなかったようで「君が文句をいわないなんて珍しいね」と小さくこぼれたアメリカの声は、2人のほかに誰もいない部屋の中で降り積もるように消えていっただけだった。
苛立たしそうに舌打ちするアメリカを、イギリスは何も言わずに見遣った。
何か、アメリカの琴線に触れたのだということは分かったが、それ以上踏み込むことはできない。
イギリスはつい先ほどまで独立戦争時のアメリカの姿を模した悪夢に憑かれていたのだ。
近づくことなど到底できなかった。
あの悪夢が言ったことは全部本当のことだ。
イギリスはアメリカを束縛しすぎた。
悪夢の言うとおり、愛されなかった幼い自分を投影していたのかは、もう昔のことすぎて分からない。
ただ、愛し方を間違えたのは本当のこと。
間が持たなくてイギリスはちらりと窓を見遣った。
たたきつける雨音がうるさいなと、そんな関係ないことをちらりと考えた。
沈黙が耐えられなくなったのか、アメリカはごまかすように髪をかき混ぜてから、ひとつ小さくため息をついた。
黙ったままのイギリスをどう思ったのか、少し視線をそらしながらアメリカは口を開いた。
「オレだってこの時期は、昔を思い出してちょっと憂鬱になったりするさ」
当たり前だろと小さくつぶやくその声には力がないように思えた。
その言葉にイギリスはきょとんとアメリカを見つめることしかできなかった。
いったいアメリカは何をいっているのか。
あの雨の冷たさを、あのアメリカが思い出して、気分が落ち込むことがあるだなんて。
そんなことがあるだなんて。
イギリスが見つめたままでいると、アメリカは自嘲するように口元を歪めた。
「そりゃ、君から独立しなかったオレなんてこの世界のどこにもいないけどさ。それでも、もっと違う方法があったんじゃないかって、あんな風に銃を向けずにすむ道があったんじゃないかって、そんなことを考えたりもするんだよ」
窓の外からはさきほどよりもさらに強い雨音が聞こえている。
めったにない昔話の口火を切ったのは、めずらしくもアメリカからだった。
「いやだね、この時期の雨は」
ぽつりとこぼれた声に導かれるように、イギリスはそっとアメリカの頬へと手を伸ばした。
久しぶりに触れた頬は温かかった。
もしかして泣いているのだろうかと思ったアメリカは、しかしイギリスの予想とは違って、さびしそうに微笑んでいるだけだった。
アメリカは、頬にあるイギリスの手に自分の手をかさねた。
そのままそっと手の位置をずらされて、手のひらに唇を落とされた。
イギリスはその動作の一部始終を黙って見ていた。
涙はこぼれていないと分かっても、それでもイギリスにはアメリカが泣いているのがわかったからだ。
きっと自分と同じだ。心のどこかが軋む音がするのだろう。
雨音が耳から離れなくて、どこか遠くから泣き声が聞こえているのだろう。
きっと、自分と同じなのだ。
「あさっては独立記念日なんだよ」
目を伏せたままにつぶやくアメリカの息が手のひらにかかり、少しくすぐったい。
「各所でイベントが開催されて、花火が上がって、みんな大騒ぎでオレの独立をお祝いしてくれる」
「世界各国からゲストを招いて開くパーティーも、みんながくれるプレゼントもいまからワクワクするくらい楽しみなんだよ」
「おれも、毎年この日が来るのがうれしいし、誇らしい」
ぱっと顔色を変え、明るく矢継ぎ早に続ける言葉は、だがすぐに途切れ、アメリカは再び目を伏せた。
「それでも、どこかさびしくて切ないんだ」
小さく微笑むアメリカが見ていられなくて、イギリスはその頬にそっと唇を寄せた。
イギリスの唇を傍受するアメリカの向こう側にある扉をちらりと見遣ると、薄く開いたドアの向こうに悪夢が腕を組んで廊下の壁に寄りかかっている姿が見える。
イギリスが生み出した悪夢は、つまらなそうにこちらに視線を送っていた。
悪夢は決してこの部屋には入れない。
同じアメリカであるならば、悪夢よりも本物の方が強いに決まっているからだ。
本当のところがどうなのかは関係がない。
イギリスがそう思っている以上、イギリスが生み出した悪夢はその理論に縛られる。
アメリカが目を覚ました時点で、悪夢はこの部屋にはいられず、すごすごと立ち去るしかない。
そうして出て行ったあの悪夢は扉の向こうでイギリスを待っている。
この部屋からイギリスが出てくるのを待っているのだ。
また隙あらばイギリスに捕りつき、呪詛を吐く機会を伺うに違いない。
あのドアを出た後も、明日も、あさってが終わるまでは、ただただアイツから逃げ回る羽目になるんだ。
今日のようにまた捕まってしまうことがあるかもしれない。
イギリスの心にナイフを突き立てるような言葉の数々をまた聞くことになるかもしれない。
世界中でただ1人、イギリスだけがアメリカの誕生日を祝えないと、そう思っていた。
それでも、アメリカ自身も心に隙間ができるというのなら。
自分1人だけじゃないのなら、自分の作り出した悪夢にどれだけ苛まれようと怖くはない。
この手がつながっていることは嘘でも幻でもないのだから。
あさってが終わればきっとイギリスもアメリカもいつもどおり。
口悪く応酬をしたり、会議中に口げんかを始めたり。いつもどおりだ。
だから。いまだけ。少しだけ許してほしい。
この涙は過去からの涙。
あの日の涙の続きだから。
「オレは、独立なんてさせたくなかった」
ずっといえなかった言葉がするりと口からこぼれた。
イギリスを見つめるアメリカの目が優しくて、だからイギリスは言葉を続けた。
「ずっと、一緒にいられると思ってた」
「うん」
「お前を育てて、お前を守って、そうしてずっと、一緒だと思ってた」
「オレも、思ってたよ」
「でもお前はオレの手を振り払った」
「うん。オレは自由になりたかったんだ」
「・・・アメリカっ・・・!」
零れ落ちる涙をアメリカはそっと拭った。
その手が温かくて、優しくて、そのことにイギリスはまた涙を流した。
そっと抱きしめられた腕の中でアメリカの言葉がイギリスの耳に優しく響いた。
「”ありがとう”も”ごめん”もオレには言えないけど、せめて、君が泣き止むまではそばにいさせてよ」
そんな言葉はいらないから、自分を放さないでほしい。
悪夢も追い払うくらいに強く抱きしめてほしいとそう思った。
END
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メリカ誕生日おめでとう!!!(一ヶ月遅れたけど)
友人からメリ誕というリクエストをもらいがんばって書いてみました。
これが初米英ってどーなのさ。ていうか、そもそも、これ米英なのか??
メリ誕と独立はイコールなので思いっきりシリアスがかけるのが楽しかったです。
2009.8.3初稿
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