ああ、これは夢だ。 土方十四郎はつぶやいた。 にっこりと微笑むその顔には見覚えがありすぎた。 だが、決してもう見ることができないもののはずなのに。 弟によく似た顔立ちで、でも弟とは似ても似つかぬ優しい性格の彼女。 昨年の秋に亡くなった沖田総悟の姉、ミツバがそこにはいた。 ミツバはなぜか湖の上に立ち土方を見てにこにことしている。 なぜか森の中、小さい湖が突然光を発してミツバが出てきたのである。 白い衣がよく似合うのは置いておくとしても、水面の上に立つその姿に土方は夢だと断定した。 「十四郎さん」 高い優しい声のトーンで呼ばれる自分の名前にうまく反応できない。 ぱくぱくと言葉もなく立ち尽くす土方の見ている前で、ミツバの両隣の水面がぼこぼこと泡立ち2人の人物が現れた。 その人物もまたよく見知っていた。 どちらも同じ顔をしており、どちらも見慣れた隊服を着ていた。 ミツバの弟、沖田総悟が2人、そこにはいた。 片方は仏頂面で、もう片方はにこにこと笑っていることくらいしか違いが分からない。 「十四郎さん、あなたが落としたのはどちらのそーちゃんかしら?」 呆ける土方に向かってにこやかに笑い、そう言ったミツバを見て、土方は心の底から夢だと確信した。 気の向くまま/気に召すまま 真選組では七夕は毎年の恒例行事だ。 近藤がどこからか大きくて立派な笹を2、3本担いで屯所へ持ってきて、山崎が全隊士分の短冊を用意する。 全員参加の強制イベントだ。 もともとは翌日に控えた沖田の誕生日に向けた前哨戦で、つまりはクリスマスのくつしたと同じ役割を持っていた。 幼いころから大人たちに囲まれて、性格が捻じ曲がってしまった沖田が、子供らしく素直に欲しい物を主張させることができる絶好の機会。 ここぞとばかりにみんな沖田を甘やかし、短冊の願いは翌日の誕生日プレゼントとしてだいたいが叶えられた。 頭が空のくせに回りの機微には敏感な沖田は、10歳になる前にその短冊の意味に気づいてしまい、晩飯のメニューのリクエストなどのささやかな願いしか書かなくなり近藤の肩を落とさせた。 そんなことがありつつも、ここ数年は沖田が書く内容は”副長の座が欲しい”だの”土方死ね”だの物騒なことばかりで、短冊を見て苦笑いをする近藤を横目にため息をつくことが続いていた。 今年も例年通り、近藤は大きくて立派な笹を2本も担ぎ上機嫌に屯所へと帰ってきた。 全員に短冊が配られ、土方も白紙の短冊を懐にしのばせ、あとで空き時間に書こうと思いながら、近藤の部屋の前へ差し掛かると部屋の主の声が聞こえてきた。 「短冊書けたか?」 ふと視線をそちらへ向けると、机に向かって真剣に短冊に向け合っている沖田をひょいと覗き込む近藤の姿が見えた。 それだけならば、近藤が沖田の願い事を誰よりも先に確認しているという毎年の光景で、土方は何も気に留めることはなかった。 だが、短冊を見た近藤はなんとも表現のしにくい表情をしていた。 まるでまんじゅうだと思って食べてみたら実はおにぎりだったかのような顔のまま首をかしげる近藤が気になり、土方は自室へ戻ろうと思っていた足の向きを変えた。 近藤さんの側へ寄ると近藤は何も言わずに短冊を土方へと差し出した。 それを受け取り中を覗くと、そこには”土方さんが欲しい”という言葉がガキの頃からまったく成長していない汚い字で書かれていた。 「ふざけろ、バカ」 「えー・・・。ダメなんですかィ?」 「たりめーだろ、つまりこれはアレだろ。オレの命が欲しいってことだろ」 土方はタバコを口の端にくわえたまま、器用にため息をついた。 短冊に書かれた内容に、一瞬ドキリとしたことなど微塵も感じさせぬように装う。 変なことではないと、ごまかすように隣に立つ近藤の思考を誘導するために自分にとって都合のいい解釈を披露する。 近藤はあっさりと誘導され、去年の願いと同じなのだと理解し、相変わらずだなと豪快に笑った。 小さく不貞腐れた顔で、じっと見つめてくる沖田の目から逃げるように土方は背を向けた。 「・・・そーゆー意味じゃねーんですけどねィ」 背中から聞こえた呟きに、土方は聞こえないふりをした。 幼馴染で部下でクソ生意気なサド王子、沖田総悟から告白されたのはよく晴れた日のことだった。 暑さにだれた沖田のわがままに付き合う形で入った喫茶店でのことだった。 「まぁ、オレは好きですけど」 「・・・は?」 「だから、土方さんのこと」 どんな会話の流れだったのか、もう前後関係などさっぱりと覚えていないが、とにかくオレは沖田から好きだと言われた。 まるで何でもないことのように、今日の天気は晴れだみたいに言われた言葉を土方は最初相手にしなかった。 『別に面白くないからその冗談はもうやめろ』と言い掛けて、沖田の左手が少し震えていたのが見えたので、土方は賢明にも言葉を飲み込んだ。 よく見ればさっきからスプーンでかきまぜるばかりで沖田は前に置かれたコーヒーに少しも口をつけていなかった。 そのくるくる回る水面を見ながら、土方は唐突に理解した。 沖田は緊張していたのだ、と。 「別に、忘れて下せぇ。ホントは言うつもりとかなかったし」 なんか流れでうっかり言っちまっただけなんで。 そう言って、結局全然口をつけなかったコーヒーをそのままに、沖田は席を立って喫茶店から出て行った。 見廻りはそのままサボる気だろう。 だが、土方はそんな沖田を目で追いながら、ああ、バカなことを言わなくてよかったと、小さく息をつくことくらいしかできなかった。 そんなことがあったのがつい10日ほど前だ。 本当は言うつもりはなかったと言ったのは真実なのだろう。 事実、事故のような形で吐露された感情に沖田自身が戸惑ったようだった。 うっかりと口をすべらせた沖田は気まずかったのか、ここ最近、土方はずっと沖田に避けられていた。 つか、どれだけガラスのハートなんだよ。 捻じ曲がった性格とは裏腹に繊細で打たれ弱い沖田の精神に少し苦笑したものだった。 むしろ沖田の方こそ避けていた件について、沖田からアクションがあるとは思わなかった。 だからこそ短冊に書かれた文字に一瞬動揺した。 短冊にあんなことを書くくらいなのだ。 どうやら沖田の中では腹が決まったのだろう。 そろそろ決着をつけるべきなんだろうか。 あの告白に対し、他人事のようにしか感じられなかった土方には、どうすべきか対処法が全く分からなかった。 *** 目の前ににっこりと笑うミツバの言葉の意味が上手く理解できないままに、土方はミツバの両隣にいる2人の沖田へと視線を動かした。 本当にどこからどう見てもそっくりで、違う部分が見つからない。 そもそも沖田など落としてなどいないとツッコミを入れるのを忘れるくらい、現状に混乱しているのがよく分かった。 「でも、両方ともとってもいい子だからどっちのそーちゃんを選んでも大丈夫よ」 自慢の弟を嬉々として紹介する様はまるで生前と変わらない。 ミツバの両隣にいる沖田の顔も、雰囲気も、不遜な態度も、まるで本物と同じだ。 夢にしてはよくできていると、自分の脳みそに関心すること然り。 ミツバに太鼓判を押された2人の沖田はどこからどうみてもとても大丈夫そうには見えなかった。 基本的に沖田は自分の姉の前じゃ巨大な猫を被っているし、ミツバも弟の本性には気づいていないのか手放しで褒めちぎる。 姉バカで弟バカな姉弟なのだ。 「十四郎さんが落としたのは、少し素直じゃないけどとっても元気いっぱいのそーちゃん?それともこっちのちょっと元気がないけど素直なそーちゃん?」 素直じゃないけど元気な沖田と、元気じゃないけど素直な沖田? なんだそりゃ。 ミツバのいう素直と元気ってどういう意味だ? 再度のミツバからの問いかけにも、土方は首を傾げる。 ”素直じゃないけど元気いっぱい”っていうのはつまり、問題行動ばかりのおなじみの腹黒サド王子のことだろう。 じゃあ左側はなんだ?”元気じゃないけど素直”? 沖田と素直がイコールで結ばれたためしがないのだ。 だが、問題行動ばかりのおなじみの腹黒サド王子の逆って意味なら、もしかして大人しくてまじめって意味とかだろうか。 とても信じられないが。 素直な沖田も真面目な沖田も土方には想像すらできない。 そもそもミツバの両隣にいる沖田はもうどちらも同じ顔で同じ見た目なのだ。 少々性格が違ったところで、同じだろうと結論付ける。 全くバカらしい状況でどこからどう見ても夢なのだ。 ならば、きっともう2度と出会いないだろう素直で真面目な沖田もいいかもしれない。 それじゃあ、と口を開こうとして、ふと視線を感じた。 見ると、ミツバの右側にいる素直じゃない方の沖田がじっとこちらを見ていた。 何か文句でも言うのかと思い待ったが、沖田はただ土方を見ているだけだった。 だが、なんとなく視線をはずせなくなり、土方はなんとはなしに沖田を見つめた。 そして唐突に気づいた。 ああ、そうか。 あの目だ。 あの無色透明な瞳が、ただ自分だけに留まる。 既視感と共に、土方はすとんと何かが胸に落ちたのがよく分かった。 そうか、そういうことか、と。 ごそごそと懐を探ると封の開いたタバコが出てきた。 1本口にくわえ、火をつける。 旨い。まったく夢だってのにつくづくリアルだ。 「どっちを選んでもいいんだったよな」 紫煙を吐きながら、もう一度ミツバへと確認を取る。 「そうよ」 にっこりと見慣れた優しい笑顔だが、それでも沖田の2択を土方に選ばせるその意味を考えると、優しいだけの女ではない。 そんなことは知っていたが、それでも改めてその強かさに敬服する。 沖田の姉だ。 知ってたはずなのに、今はじめて実感した気がした。 「じゃあ、オレは問題ばっかり起こす腹黒サド王子な総悟にするわ」 土方は未練も躊躇もなく、はっきりと口にした土方に、ミツバではなく2人の沖田が目を瞬かせた。 特に選ばれた方のサド王子はぽかんと呆けている始末だ。 そんな2人に構わず、土方は再び紫煙をくゆらせた。 ミツバが言わなかったことが1つだけあった。ただそれだけの話だ。 カードを1枚だけ裏にしたまま土方へとベットを要求した。 それぐらいは気づけと、強い牽制とかすかな希望とを混ぜて。 ああ、本当にお前はいい女だよ。 「バカで、問題ばっかりで、仕事サボってばっかりで、オレの命狙ってばっかりで、ホントにどう仕様もねーヤツだけど」 それでもこの伏せられているカードに書かれていることが分かってしまった以上、切り捨てることなど土方にはできるはずもなかった。 バカで仕様がない方の沖田をちらりと見やると、まだぽかんと大口開けて呆けているままだった。 まったくのバカ面で、黙っていればかわいいと評判の顔が台無しだ。 でも土方は別に沖田の顔の美醜などどうでもよかった。 だから、そのまま視線をミツバへと戻し、土方は言葉を続けた。 「でもオレのことが好きで好きでしょーもない、そっちにする」 きっぱりとそういうのと同時に、目の前の湖も2人いた沖田も消え、土方の目の前にはミツバだけとなった。 ああ、つくづく、なんという夢だ。 とっくに分かっていたことを、土方はしみじみと実感した。 ミツバが深々と頭を下げた。 「そーちゃんのこと、よろしくお願いしますね」 「気が向いたらな」 断ることなどできず、だが任せろとは言えなかった。 だがミツバはそれで満足したようで、口元を袖で隠しくすくすと楽しそうに笑うとふっと消え去った。 じっとこちらを見つめる沖田の目を見返すことができないのは、絆されてしまいそうになるからだ。 その瞳に込められた感情は姉も弟も同じだ。 だが、どれだけミツバが土方を見つめても、土方は絆されることはなく、むしろ頑なに彼女に背を向けるだろうし、彼女もそれを分かっているから、土方を見つめてきたりなどしない。 だが、それでも後ろを振り返ってしまうメンタルの弱さと染み付いた年下根性と手を伸ばせない意地とを併せ持つ。 その何もかもが綯い交ぜになった混沌さ。 それこそが沖田で、だからこそそんな沖田を土方は切り離せなどできはしない。 それだけがミツバと沖田のたった一つの、だが決定的な差だったのだ。 ガキの癖に大人顔負けの強さを持ち、いまやもう本気を出したら土方など絶対に適いはしない。 近藤の背だけをただ見つめ、他には何にも興味を持たない沖田の唯一の例外。 それが自分だ。 その瞳が自分だけを写す優越感を、もうずっと昔に自分は知ってしまっていた。 手放すことなどもうできなかった。 そうだ、とっくの昔に絆されてしまっていたのだ。 切り捨てられないのだから、もう受けいるしか選択肢はないのだから。 ただ、認めたくなかっただけ。逃げていたかっただけだ。 きっとミツバはどちらの沖田を選んでも沖田を頼むと言っただろう。 腹黒でもバカでもなく仕事も真面目にする沖田総悟。 もともとの見た目と相俟ってとんでもなく完璧なヤツであることだろう。 だが、土方は今の沖田のたった1つだけ欠けたその部分を失うのを惜しいと思った。 その沖田の感情と残り全ての悪い部分とをを秤にかけて、それでも天秤の針は一方へと傾いた。 なくしたくないと、そう思ったのだ。 まったくもって、つまりはそーゆーことなのだ。 *** 目を覚ますとそこは自分の自室だった。 変な夢を見た。 周りを見渡すと、かすかに開いている障子の隙間から入ってくる朝日がまぶしいくらいで、他には特に代わり映えはしなかった。 土方はむくりと体を起こすと、大きくため息をついた。 つくづく、変な夢を見た。 隊服に着替え、食堂へ向かう道すがら、中庭の側を通ると昨日近藤が持ってきた笹の葉が目に飛び込んできた。 土方はもう1度大きく息をつくと笹へと近づき、ぶらさがる総悟の短冊を紐を引きちぎって取った。 くるりときびすを返すといかり肩のままどすどすを音を立てながら食堂へ向かった。 「おい、総悟!!」 食堂には半分くらいの隊士たちが集まっており、思い思いに朝食を取っていた。 特に座席が決まっているわけではないが、近藤、土方を始め、幹部の席は毎回ほとんど同じ場所に座るため、暗黙の指定席となっている。 そんなわいわいと騒がしい食堂の中、早番のため、いつもの定位置ですでに食事中の沖田へ向かって土方は声をかける。 「なんですかィ?朝から景気悪くなりそうだからこっち来ないでくだせェよ」 そんな土方に対し、沖田は話しかけられたことが心外だとでも言いたそうな、面倒くさそうな顔で応じた。 茶碗を抱えたままかっこむように食べる姿に思わず眉根が潜むが、説教は後回しだ。 土方は、ばん!と短冊をテーブルに左手ごとたたきつける。 思った以上に大きい音が立ったため、食堂のざわめきが一瞬止まる。 だが、土方と沖田の姿を認めると、いつものことだとばかりにまた各々食事へと戻っていった。 「お前、欲しいものあるんだよな?」 「・・・・はい?」 きょとんと目を丸くする姿は夢の中と全く同じだ。 当たり前のことがなんだか楽しいと思った。 「あるんだよな?!」 さらに詰め寄る土方に沖田は困惑し眉根をひそめる。 だが、土方の手の下にひかれている短冊に気づいたのだろう、沖田ははじかれたように土方へと顔を向けた。 「・・・何の話ですかィ」 口を開いた沖田の声は少し固い。 じっと見つめてくる沖田の視線から、土方は逃げることなく見つめ返した。 「やるよ。欲しいなら」 「は?・・・何言ってるか分かってんですかィ?」 「ただし、条件がある」 「は」 言葉を続けた土方に、沖田は自嘲気味に息をついた。 「どーせアレだろィ、仕事ちゃんとしろとか、そーゆー・・・」 「条件は、1つだけだ」 沖田の言葉を遮って、土方は言葉を続けた。 榛色の沖田の目をじっと見つめながら、もしかしてこんな風にコイツの瞳を見るのは初めてかもしれないと思った。 「一生、返品不可だからな」 それでもいいなら、くれてやるよ。 「・・・い、一生・・・?」 「なんだよ、いらねーのかよ!」 「い、いるに決まってまさァ!!」 ぽかんと口を開く沖田は数瞬後に意味がやっと頭に届いたのか、見る間に顔を赤く染め上げた。 こんな沖田を見るのは初めてで、なんだ結構かわいいじゃねーかよと笑みが込みあげてきた。 小さく笑う土方に、沖田はほとんど怒鳴るように言葉を返した。 その辺りの不慣れさにいかにもな年相応さを感じ、土方はさらに笑みを深くした。 「よし」 沖田の言葉に土方は満足げに笑った。 「じゃあ、やるよ」 噛み付くように沖田の唇にキスをすると、沖田が取り落とした茶碗が派手な音を立てて割れたが、それ以上に食堂全体がどよめいた。 副長が乱心した!などと叫ぶ隊士や、口笛で囃し立てる隊士たちでもう食堂内は大騒ぎだ。 口元を押さえ真っ赤になった沖田に土方はニヤリと笑みを送り、そっと沖田の耳元に唇を寄せた。 「誕生日おめでとう、総悟」 END ---------------------- 総悟誕生日おめでとう!!!(遅れたけど) もともとは金の斧銀の斧のパロでギャグの予定でした。 沖土にミツバ絡ませればそりゃシリアスっぽくなるよね。という結果に。 終わってみれば何これ?土沖??みたいな。 土方さんが積極的だと話がさくさくすすむので楽でした。 でも書いてて楽しいのは総悟。悩め悩め!とぐるぐるさせるのが大好きです。 2009.7.10初稿 ---------------------- |